スポンサーサイト
一定期間更新がないため広告を表示しています
- | permalink | - | -
[…] 「難民の方々に眼鏡が買えるわけがないし、発展途上国では眼鏡はとても高価なもの。第三国に定住して働こうにも、視力が不十分では縫い物や本を読むことができない。定住先の語学学習や職業訓練などの効果も上がらない。もちろん、生活するためには、まず住居や食糧、水、医薬品が必要なのはわかっています。ですから私たちが対象としているのは、ライフラインが確保され、これから自立しようとする人たち。でも栄養不足や長年のキャンプ暮らしで、遠視で近くが見づらい人や老眼が多い。日本と違って近視は少ないですね」
タイ国内の難民キャンプでの支援は93年まで11回続けた。94年からはネパール、さらに97年からはアルメニアで支援プロジェクトを年一回の割合で続けている。一回につき平均三千−四千個、累計では96,500個の新しい眼鏡を寄贈している。
「最初、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、眼鏡が必要とは気づいていなかった。でも一回目の私たちの支援を通じ、喜ぶ難民の姿を見て、二回目からは現地職員を派遣し、通関や移動、宿泊の手配など、パートナーとして積極的に協力してくれるようになりました。眼鏡を届けるだけでなく、私たちが現地に赴き、一人一人の視力をチェックして眼鏡を選定・調整することが評価されたようです」
[…]
「これまでに延べ百人以上の社員が支援プロジェクトに参加していますが、このおかげで『見る喜びに奉仕して豊かな文化の創造繁栄に貢献する』という社是の精神と、私たちの仕事の原点を再認識するようになったと思います。社員たちがそこで学んだことは、それぞれの人生の宝になったことでしょう」
難民に贈る眼鏡のフレームは、国内のメーカーや問屋さんに寄贈してもらい、レンズはメーカーから廉価で提供を受けている。店頭での募金も含め、市民からの支援も多い。
これまでに要した費用は、今回のアゼルバイジャンを含め二億八千七百万円。そのうち眼鏡や視力検査器具、補聴器など寄贈品は一億九千二百万円を超える。
[…]
「本業を通じ難民の方々に喜んでいただけることが、多少なりとも日本のイメージアップにつながればうれしい。もちろん、これからも続けます」
「一太郎」には、マウスとクエスチョンマークを合体した独自デザインが使われており、ここをクリックすると「ヘルプモード」に切り替わる。松下電器産業はヘルプモードにする「アイコン(絵のマーク)」について特許を取得していた。(原田成樹 FujiSankei Business i. 2005/2/2)
もともと中村氏は、会社を辞めるつもりも、会社を訴えるつもりもなかった。『僕が会社を訴えたわけ』(NE ONLINE「中村修二氏裁判速報」所収)によると、1979年に徳島大学大学院の修士課程を修了した中村氏は、就職時すでに学生結婚して子供もおり、「仕事で家庭を犠牲にしたくない」との思いから「妻の地元の徳島県にある日亜化学工業」に就職し、20年間勤めつづけた。
その日亜化学工業をなぜ飛び出したかといえば、業績を正当に評価されず、冷遇されつづけて未来に希望をもてなくなったからだ。『僕が会社を訴えたわけ』によると、化合物半導体であるGaP(ガリウムリン)やGaAs(ガリウムヒ素)の製造を手掛け、それなりに開発の成果を上げても、大手企業のブランド力に負けて売上が上がらなければ社内では評価されない。揚句に「穀潰し」とみなされ、冷遇され、「どうせ辞めさせられるのなら自発的に辞表を書くのではなく、日亜が自分を解雇するまで、開発すべき新製品を自分で選択し、それを自ら単独で開発研究してみよう」と思いつめるまでになり、「上司などの了解もないまま、窒化物系青色発光半導体を開発することを自ら一人で決定し、実行」する。
これが青色発光ダイオードの発明として実を結ぶのだが、もちろん会社から充分な開発費は支給されず、大学院時代に実験装置を手造りした経験を頼りに、社内会議にも電話にも出ないというきわめて異常な状態の中で開発がつづけられたらしい。そしてついには「窒化物系青色発光半導体素子の開発」に強く反対していた社長名で開発中止の命令が下される。「首を切られてもいい」という覚悟のもとに、こうした度重なる社長の実験中止命令も無視する異常な状況の中で、ついに中村氏の開発は1993年11月に青色LEDの製品化に結びつく。
この異常な経緯が東京地裁をして「個人的能力と独創的発想で産業界待望の世界的発明を成し遂げた全く稀有(けう)な事例」と認めさせ、「教授の貢献度は少なくとも50%を下回らない」と判断させた。
だから特許権譲渡の対価200億円も貢献度50%も、今後の同様訴訟に適用されるわけではない。
さらにいえば、日亜化学工業を退社し、アメリカに渡ってからも、中村氏は同社を訴えるつもりはなかったという。『僕が会社を訴えたわけ』によると、同社が中村氏を企業機密漏洩で訴えることがわかって、「日亜化学は私をまるで犯罪人扱いしていましたから。訴えられるまでは、こちらから訴えてやろうなんて思ってもいませんでした」という事態に発展したらしい。
この経緯に間違いなければ、判決に対して日亜化学工業が発表した「本件原告のように、ノーリスクで終身雇用或いは安定収入という企業の中にあって、巨額のリスク負担をした企業に破天荒とも言える巨額の成功報酬を請求することは、安定収入と巨額のリスク報酬の二重取りを求めるものであって理論上許されない」という主張は成り立たなくなる。同社は青色発光ダイオードの開発に何らリスクといえるものを負っていない。むしろ冷遇しつづけてきた社員の発明の成果を不当に独り占めしている。
自分ひとりだけでできる趣味や快楽なんてものは、ほんとはあんまりありません。他人からは、いかにも孤独そうな趣味に思えても、ほんとに孤独に満足できることなど、ほとんどないでしょう。
たとえば、模型飛行機の趣味を持っている人々にしても、ひとりでつくってひとりで眺めているだけでは、面白くありませんから、集まって、見せあったり飛ばしたり競技したりします。個人のつくったもの、個人の力を、みんなで分けあって楽しむというシェア(おすそわけ)は、クラブ活動などで、みんな体験してきたはずです。料理なんかでも、ひとりで黙々と食べて、“ぜんぶ、独占してやる!”というよりは、“ねえ、食べてごらんよ”というほうが、より楽しくておいしいでしょう。“いや、誰にもやらん!”という人がいてもかまいませんけれど、ね。分けあうということは、なぜかは知らねど、楽しい、と。その「シェア」というよろこびの感覚が、インターネット的なのです。
インターネット的という考えからしたら、たとえば企業が市場を“独占する”ということなどは、ちっともカッコ良くないのですね。誰も、うれしくない。誰もうれしくない、ということを推し進める企業が、市場の主役である人々から嫌われていくであろうことは、これからの社会の動向を見ていかなければ結論づけられないとは思うのですが、予感的には、ぼくはそうなっていくだろうと考えています。