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辻井喬(堤清二)講演会

11月4日に稚内総合文化センターで

「市民フォーラム・わっかない」教育講演会
『いっしょに考えませんか?子どもたちの未来のこと
  --教育基本法と文化・芸術について』
   講師:辻井喬
  (本名堤清二。詩人・小説家・セゾン文化財団理事長)

が開かれた。

■いくら有名人とはいえ大ホールなんかでやって、人が集まるのか?

■新聞折込のチラシに
「当日、文化センターの駐車場は利用できませんので、お車でのご来場はご遠慮ください」
とあったから、どういうことか電話してみた。
やはり「文化センターの駐車場は事情で使えない」という。でも「隣接する市役所の駐車場はあくまでも市役所利用者のためのものだから‥」といかにもタテマエ的な言い方だったから車で行くことにする。
それにしても、稚内で「車でくるな」とは、はて?

■当日会場近くにはパトカーや警察バスが並んでる。何で?

会場に着いたらこれらの疑問は解消した。

「第55次 合同教育研究全道集会」
<平和を守り真実をつらぬく民主教育の確立--教え子を再び戦場に送るな>

という看板が舞台にかかっている。
この講演会の実体は北教組の教研集会だったのだ。
だから人はそれなりに集まるし、妨害を防ぐために文化センターの駐車場は柵で囲って進入禁止にしてあるし、警官もいっぱいいたってわけだ。

肝心の講演の中身は、ある程度再現できるところだけを以下に。かなり不正確だと思うけれど、ご容赦。

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教育基本法を変えるという動きは財界からまず起こった。
財界が言い出すことにろくなことはない。
人心が荒廃しているから愛国心教育を、などというが国のリーダーのおこないが荒廃しているところに根本の問題がある。「愛国心をもて」などという前に愛したくなるような国にしろ、というのがまっとうな考え方ではないのか。

だが、選挙のたびに正論の声が小さくなるように感じている。
文学者の立場から言うと、文学のことばがひとびとに届かなくなっているのではないか。
本来、文学の役割とは「人間の美しい法則」を伝えることであり、それは敵を味方に変えるような力をもっているはずである。
やり方を間違えると逆に味方を敵にしかねないものだが、それは革新陣営にも往々にして見られ、そのエネルギーを内部抗争に振り向けてしまっている場合がある。

「人間の美しい法則」を見出すために必要な力の第一は、<自分の生きている領域を広げること>だ。それは相互理解によって実現される。
誰でも子どもや愛する人の才能を発見したときには大きな喜びを感じるだろう。だがそのためにはそれを発見する能力をもっていなければならない。
私たちはしばしば自ら自分の生きている領域を狭めてしまい、発見する能力をそいでしまっているのではないか。
例えば、メディアのもたらす他国や他者のイメージにとらわれたままそこで納得してしまっている。私はかつて初めてキューバを訪れたとき、イメージと現実の落差に驚き、自分がふだんいかにアメリカの報道の傘に覆われているかを思い知った。

必要な力の第二は、<タブーを乗り越えて自由になること>だ。
それは言い換えれば自分が抱えているタブーを見据えるということでもある。
ここでは「伝統」というものについて考えたい。
私自身、「伝統」と聞くと拒絶反応を示したものだった。しかし必要があって古事記や菅原道真のものを読むと、これが実に興味深い。いわば私たちは「悪用された伝統」しか知らされず、それをタブーとしてきたのだが、悪用から伝統を取り戻すことこそが必要であるように思う。

例えば「民主主義」というとアメリカから教わったものであるかのように思い込んでいるかもしれない。伝統を捨てて民主主義を学んだ、と。
しかし古事記や安藤昌益の思想など、日本の伝統としての民主主義思想というものが存在するのであって、それを発展させるという視点ももつべきだ。


ヨン様ブームに対して外国のある人が「日本の中年女性はよっぽど寂しいんですね」と言っていたけれども、それは日本の中年男性がよっぽどダメだということだろう。奥さんに見限られるつまらなさを抱えているという自らの問題がそういうブームとして表現されている。
運動している側は、そうしたブームなどを見てつい「大衆」をバカにしがちだが、そうした固定観念やタブーをなくしていくことが運動の主張に力を与えていくことになるだろう。

そうして、政治が義理人情型から劇場型に移っている今、そのことをこちらがうまく使うことが大切だ。

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もっと面白かっただろうか。
こんなものだったかもしれない。

<平和を守り真実をつらぬく民主教育の確立--教え子を再び戦場に送るな>

時宜にかなっているようでいて旧態依然たるこのスローガンの下で、<生きている領域を広げよ><タブーを乗り越えよ>と呼びかけるのは確かに警句になったかもしれない。
だが、義理でついてきて早々に寝入ってしまったかみさんは別としても、多くの聴衆にこの文学者のことばがそれほど響いたとは感じられなかった。
僕も含めて、辻井喬の作品を経験したうえで聞く、ということができなかったかからだろうか。
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菅原道真菅原道真(すがわらのみちざね、みちまさ、どうしん、承和12年6月25日 (旧暦)|6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日 (旧暦)|2月25日(903年3月26日))は日本の平安時代の学者、詩人、政治家である。特に漢詩に優れ、現在は学問の神として親しまれる。33歳
菅原道真 | 歌人辞典 | 2005/11/09 6:53 PM