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2005年10月8日
夜中の3時25分、米軍の戦車がラマディ市内に入ってきました……。見てはいませんが、騒々しい音を聞いていました。ヘリコプターやF16戦闘機の音も、爆発音が鳴り響き始めましたが、それは遠くに聞こえ、町のはずれのようでした。30発以上の爆発音を聞きました。それは朝7時まで続きました。それから、米軍は撤退していきました。今回は誰も米軍に対する攻撃をしなかったのですが、米軍はラマディ周辺の至るところを攻撃していきました。それにしても、なぜ米軍はラマディ市内から戦車でそれらを攻撃していたのでしょうか?
ラマディ市内に通ずる2つの橋と他の道はすべて閉鎖され、誰もが市内に入ることを許されていません。住民たちはこれから数日のことをとても心配しています。国民投票前に、米軍に殺されるか脅かされるだろうからです。たいていの人たちは、彼らの息子や娘を学校に行くことを許しませんでした。そして、みな家に閉じこもっているのです。米軍の戦車が市内を動き回る時、そこには「死」がまとわりついており、彼らは目に映る民間人を殺していくのです。
今日、私は1週間分の食料を調達しなければなりませんでした。そこで市場に行こうとしたのですが、途中で地元の人たちが私を引き止め、自宅に戻るように言いました。話によれば、その辺りに米軍の狙撃兵が高層の建物に潜んでおり、30分前にタクシードライバーの若い2人が射殺されたというのです。
確かに……。米軍の戦車と米兵たちがいました。私はあわててすぐ隣の家に走り、ドアをノックしました。しばらくして、一人の女性がドアの向こうから「誰?」と聞いてきました。私は「イラク人だ。隠れさせてくれ。米兵に見つかったら殺される……」と言いました。女性はドアを開けてくれ、「早く入りなさい」と私を招き入れ、すばやくドアを閉めました。
彼女は客室に私を招き、座るように言いました。彼女は40歳くらいで、穏やかでやさしそうな感じがしました。私が自己紹介をすると、彼女は私の家族を知っていました。彼女はお茶も何も振る舞いませんでした。なぜなら、今はラマダン(断食月)なのです。
彼女は3人の娘と1人の息子の母親でした。彼女の息子のジアッドがやって来て、私を歓迎してくれました。そして「外の様子はどうだい?米兵はいるの?」と聞いてきました。外の様子を知らないようでしたが、彼は寝ていたようなので、私は特に驚きはしませんでした。「あぁ、米兵がいるよ」
すると、彼は怒りながら「もう勘弁してくれよ!いつだってあいつらはやって来て、家に押し入っては家族を捕らえるんだ。そして、家は狙撃兵の格好の場所として使われるんだ。あいつらは、俺ん家の屋根からたくさんの民間人を殺したんだ!」
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