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首都圏大学非常勤講師組合 結成10周年

組合の機関誌『控室』第58号に掲載されたもの。

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“なかま”の輪のなかで
  --結成10周年に寄せて

 10年ほど前、熊沢誠氏が「仕事をやりがいのある営み、あるいは少なくとも耐えられる営みにする条件」として“ゆとり・決定権・なかま”の三つをあげていた(『朝日新聞』1995年5月21日)。正社員職場の中から奪われゆくものとしてそれらへの注目を促したのである。 
 すでに当時、僕たちはすでにその三つとも失っていた。だからその分「やりがい」は搾取されていたし、ときにそれは「耐えられない営み」であった。

  辞令

  四月になると
  勤め先のあちらこちらから
  ぺらぺらの紙に印刷した辞令が送られてくる
  用紙があまりに軽いので
  吹けば本当に飛んでいってしまう
  ----貴殿を本校の非常勤講師に任ず
    ただし、期間は三月三十一日までとする。
  毎年年号の数字が増えるだけで
  一字一句変わりはしない
  十年近く私の科目がそこにあり
  私の責任がそこにあるのに
  私の場所も私の意見もありはしない
  辞令を広げて
  常勤に非ずという字を見るたびに
  おまえは一人前に非ず
  おまえは人間に非ずと
  念をおされている気がして
  破り捨てたいのをこらえては
  机の奥に封じ込める

 竹添敦子さんの詩「時間割表」は僕たちの最初の文書<非常勤講師のみなさんへ---労働組合加入の訴え>に引用させていただいたが、この詩も竹添さんの詩集『控室の日々』(海風社)にある。「時間割表」はいくつもの大学を飛び回らざるを得ない“ゆとり”のなさを、この「辞令」は責任だけあって何ら“決定権”をもてない境遇を見つめている。

 そして、僕たちには“なかま”もいなかった。だからこの『控室』創刊号では次のように訴えた。
 「授業準備に追われる日常に理もれて、『非常勤なんて元々そんなもの』とあきらめていませんか?(中略)控室にバラバラに放り込まれた私たちは、孤立したままでは、研究や生活や労働の条件を改善することはできません。今までは要求する主体がなく、したがって何も要求してこなかったからこそ、何も改善されなかったのです。」
 要求すべきことはいくらでもあるのに、要求する主体がなかったから組合は生まれた。都区一般との出会いという偶然に助けられはしたけれど、必然でもあっただろう。現状への不満や将来への不安を愚痴り合い慰め合うだけではなくて、闘いに向けて思いを共有することによって僕たちは“なかま”になることができた。
 どの機会だったか、「“集まると元気が出る”みたいなのはバカにしていたのですが、今日の集まりに参加して元気をもらいました」という感想をもらったことがある。孤立していた僕たちは、展望を語り合う場と“なかま”を得ることによって展望をもてるようになった。そして展望をもつことが、僕たちの現実的な“力”となっていく。
 「いつかストライキで‥」という夢こそ実現してはいないが、省庁交渉とか国会質問とか、発足当時語り合った目標のいくつかは叶っているのである。16年間にわたって時給が据え置かれていた短大では団交によって割とスムーズに賃上げを果たしたが、要求していなければあと何年でも時給はそのままだったはずだ。さらに、使い捨ては許さない、という共同の力は解雇撤回運動でも成果を蓄積してきた。かつてはそもそも交渉の入口にさえ立てないというのが常態だったのだ。「(訴えている)彼はいつ組合に加入したのですか」と問うてきたので「数日前です」と答えたら「数日前に入った人間のためにそんなことを‥」と電話の向こうで困惑していたが、要求で一致すればすでにともに闘う“なかま”である。

 「黙っているのはやめにしました」と宣言して運動が始まり、その中で組合員という“なかま”も徐々に増えていったが、組合の外側に現われる“なかま”の存在にもとても励まされたのを思い出す。「動くことによって“つながり”が広がる」というワクワクするような驚きと喜びは、僕自身のそれまでの生活にとってまことに新鮮であったし、組合の活動にとってもその世界を広げてくれるものだった。
 「新聞見ました」と、岡山から、旭川から、徳島から連絡が来る。留守電にメッセージを入れていた相手に電話してみると「長くなるのでこちらからかけます」と、実際に4時間近く切々と実情を訴えられることもあった。直接に支援することはできないとしても、実態と要求を表現できる場を提供したということだ。みな声をあげていなかったからお互いの存在に気づかなかったが、“なかま”は様々なところにいた。
 初年度の秋に開いたフォーラムで、いずみたくミュージックスクールの方がミュージカル『使い捨てライター』を上演してくれた。最初の打ち合わせの時に「そこまでしていただいて‥」と恐縮していると、「してあげる、というのではないんです。同じ問題を抱えているから一緒にやるんです」と言われていっそう恐縮したのだが、“なかま”というのはこういうことなのだな、といたく感じ入ったものだ。
 外国人講師の抱える問題に取り組んだときに気がついたのは、彼らがいつもまずもって「unfair」「unjustice」という言葉で自らにふりかかった事態を表現することだった。闘いの源泉は個人的な「悲しい」とか「困った」といった感情だけでなく、それが社会的に不公正であり不正義なのだというところにある。だからこそ、彼の抱える問題は私の抱える問題でもあり、私の闘いは彼にとっての闘いでもあるのだった。「unfair」「unjustice」という言葉遣いが改めて気づかせてくれたのは、そういう“なかま”の原理だった。

 思い出話ばかりしてしまったようだけれど、僕たちの抱える問題の「構造」に変化はないはずだ。だから「仕事をやりがいのある営み、あるいは少なくとも耐えられる営みにする」ための“ゆとり”や“決定権”をめぐっての闘いは続かざるを得ないだろう。
 しかし今、少なからぬ“なかま”を組合の内外にもっている。このことはとても大切な財産だと思う。ひとりひとりの実存にとってみてもきっとそうだし、客観的にも、非正規労働者の組合組織率が3%台に過ぎないという現状の中で、公共一般とともに先駆的な役割を果たしてきた。
 東京を離れるとき、「30年後に書かれる『労働組合運動史』にはこの組合のことが載って、そこに(初代委員長・斉藤吉広)って書かれることになるんですよ」と酒の入った勢いで言ったのだけれど、本当にそんな風に名前が残るとすれば、実に誇らしいことだと思う。
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