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ネット・ケータイとつきあう子どもたちとのつきあい方

今年稚内で開かれる「第38回北海道養護教員研究大会」の講座講師を依頼されて、事前に配布されるレジュメ集原稿の締め切りが今月末だった。送ったのが以下のもの。
しかしなんとその研究大会は半年以上先の8月8日である。ずいぶんかっちりとした運営がなされているのだなぁ、と感心してしまう。

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ネット・ケータイとつきあう子どもたちとのつきあい方

 ウチに子どもはいませんし、地域で子どもたちと接する機会もほとんどありません。ですから書籍や報道から得られる情報によってしか子どもたちのことを理解していません。その意味でははなはだ心もとないのですが、現在のメディアとコミュニケーションをめぐる諸問題についてはいつもあれこれと調べたり考えたりしているものですから、子どもたちの直面している課題についても何かヒントになるような議論も紹介できるのではないかと思います。ただどれだけリアリティがあるかについては教育現場で直接彼らと接しておられる皆さんから検証していただき、むしろいろいろと教えていただきたいと願っています。

■対症療法の限界
 子どもたちの抱えている困難を、その表面的な現われ(いじめ、ひきこもり、非行、性的逸脱etc.)においてだけでなく、背後にある生活歴や生活環境全般の問題として取り組まなければならないのが養護の先生たちの仕事なのでないかと想像します。メディアとのかかわりについても、ただ「ケータイをとりあげればいい」とか「ネット利用を規制すればいい」というようなことではなくて、なぜ子どもたちがそれほどまでにそれらを必要としているのかについて理解することは不可欠なはずです。端的に言って、「それらのメディアがないとやっていけない」のだとすると、それに替わるものを家庭や学校が提供していない、あるいは失ってしまっているからだと考えることができます。
 一般的には、<メディアによって社会が変わる>ように見えますが、逆に<社会が必要とするからそのメディアが普及する>のです。別の言い方をすると、<メディアは新しい欲求充足の形を与える>のですが、<欲求にそぐわないメディアは選ばれない>ということです。根本の問題は欲求や、必要や、欠如にあります。対症療法的な対応だけで済むものではありません。

■対症療法の必要 
 しかしながら、対症療法が無用だということにはなりません。ケータイやインターネットの利用による、今日や明日にも起こりかねない危険があるのであれば、対処法を知っておくことは必要です。世の中の悪意や落とし穴を知らない未熟さに対しては予備知識を持ってもらわなければなりません。反対にやっかいなのは、ケータイやネットの世界そのものについては子どもたちの方が熟知している場合が珍しくないことです。特にケータイの操作方法の面では、多くの大人が子どもたちにかなわないのではないでしょうか。
 だとすると、「対処法」以前に、「何が起こり得るのか」を大人たちの側がよく知らないということになります。実際、分からないから何も手だてを打っていないという大人が多いはずです。本当は、子どもたちに教えてもらいながら大人が一緒になってその世界を経験し、話し合いながら利用の仕方を模索できればいいのでしょうが、よくある危険についてはとりあえず知っておくことにしましょう。

■子どもへのイメージ
 大人が子どものやっていることをよく知らない・理解できないのだとすると、それは単に大人が子どもほど新しいメディアにうまく適応できないからなのでしょうか。あるいは、子どもたちがよほど異常になっているから理解できないのでしょうか。「メディアのせいで子どもがおかしくなる」といった物言いがよくされるのですが、例えば「少年による犯罪が急増・凶悪化している」という事実はありません(逆に「治安は全体として悪化していて犯罪被害者となる子どもが急増している」という事実もありません)。子どもに「メディアに気をつけろ」という前に、メディアのふりまくイメージに大人が振り回されてはいけないはずです。
 当たり前ですが、外側から眺めているだけでは理解できません。やりとりして初めて理解への回路が開かれるのです。「子どもがおかしい」ということを前提にすることで理解への回路を自ら閉ざそうとする、理解しようとしない自分を正当化するような風潮があるように見えます。ネットやケータイに頼る子どもたちのコミュニケーション状況を理解できない本当の原因は、大人が子どもたちときちんとコミュニケーションを図らないことにあると考えます。
 こうした意味では、大人の側の状態、大人の側からの視線をこそ検討する必要があるということになるでしょう。

■大人の側の変化
 1995年から5年おきに実施されている調査では、(仕事上・役割上必要なものを除いて)10分間以上のまとまった会話時間を一日に一度もとっていない人がここ10年間でほぼ一貫して増加し、最近では7割近くの人が該当するという結果が出ています。他方で「会話する人」の会話時間は逆に増加の一途です。つまり「会話する人」はますます饒舌になる一方で、「会話する人」自体は減り続けているのです。ひきこもり傾向の子どもがいる一方で、「何をそんなに話すことがあるんだ」とあきれるほどにメールや通話でおしゃべりし続ける子どもも目立つのですが、日本社会全体における「会話の衰退」の中での一種の抵抗、あるいはあがきだと見ることはできないでしょうか。
 個食や孤食が増えたのは子どもの責任ではないのですし、コンビニや自動販売機ATMやネット通販など、対面的なコミュニケーションがなくとも生活できる便利で効率的な仕組みを営々と築いてきたのは大人です。子どもたちはそうした社会に必死に適応しようとしている、そう理解すべきだと考えています。
 
 当日は、およそ以下のような構成でお話ししようと思っています。

1.大人はなぜ不安になるのか
(1) モンスター・チルドレン?
(2) ネット・ケータイで被害者になる子ども/加害者になる子ども
(3) 子どもが見通せない

2.子どもはなぜネット・ケータイに魅かれるのか
(1) コンビニ化・個人化する生活におけるネット・ケータイ
(2) 二極分化(孤独への恐怖/他者への恐怖:ココロ系、自傷らー)
(3) つながりへの強迫/「居場所」としてのネット・ケータイ

3.大人に何ができるのか
(1) リテラシー(ネチケット、フレーミング、個人情報、フィッシング、チェーンメール、ウィルスetc.)
(2) 規制(フィルタリング)
(3) きちんと向き合う(生、性)
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