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硬直したからだとこころ

山口創(やまぐちはじめ)『子供の「脳」は肌にある』(光文社、2004年)は面白い。身につまされる記述がいろいろあるが、まずは「つらい経験が身体を硬直させる」という項から。
 人との共感が生まれるとき、そこには身体レベルでの模倣が起こっている[…]
 しかし実際には、身体の模倣が起こりやすい人と、起こりにくい人とがいる。この違いは性格の違いに起因するというより、身体の状態の違いによって生まれてくる。
 たとえば、親からいつも叱られ続けたり、虐待を受けてきた子どもというのは、普段から顔や体の筋肉に知らずに力が入っており、硬直させている。顔は無表情でこわばっていたり、肩を丸めたりいからせたりしていることが多い。
 これは叱られたり罰せられたりするたびに、身を守ろうと体を硬くしてきた結果、そのような筋肉パターンが慢性化してしまっているからである。
 筋肉が慢性的に緊張していると、その緊張した身体部位への感覚に気づくことができなくなったり、現実が歪んで知覚されたりする。つまり、体のフィードバックがうまくはたらかなくなるのだ。すると、人が笑っているのを見たときに、その笑いの表情に(実際には存在しない)敵意のニュアンスを知覚したりすることになる。親切にされても、素直に喜ぶことができず、相手に親密な感情を感じることもできない。そして何か裏があるのではないかと、さらに体を硬直させてしまう。
 こわばった体の筋肉パターンは正確な共振を妨げる。そしてその人独自の筋肉運動が生じて、歪んだ知覚をさせてしまうのだ。
 これは虐待などの深刻なストレスを受け続けた人のみに限ったことではない。普通の人でも、幼少期からの感情生活の積み重ねによって、ひとりひとりユニークな筋肉パターンが形作られているといえる。

以前にどこかで書いたかもしれないけれど、僕の表情はホントに貧しかった。「おかしかったら笑えばいいのに」と小学生のときに何度も言われ、大学院生時代のバイト先で中学生につけられたあだ名が「シッシッシーの斉藤」(こらえた笑いがシッシッシーに聞こえたらしい)だった。
「感情表現」が貧しいときっと「感情そのもの」も貧しくなってしまうのである。「男は感情を表情に出さないものだ」となぜか思い込んでいた自分はその分貧しくて不幸だったと思う。
山口氏はからだとこころを柔らかくするために相互のマッサージが有効だとしているが、きっとそうだろう。お互いの存在と生命を実感し、尊重しあう関係を築く訓練になるからだ。
AC(アダルトチャイルド)としての生きにくさを克服するためなんかにも、ほぐすべきなのはまずからだなんだろうな。

僕は幸いにかみさんと出会ってだいぶからだと表情と感情がほぐれた。
「表情の貧しいのがコンプレックスです、なんて嘘だったんでしょ」と責められるけれども、嘘じゃない。
まだ“硬直するからだ”が消えたりしたわけじゃないけれど、からだとこころが硬直してしまっている自分にいちいち気づくことはできる。
竹内敏晴とか、野口体操とか、古武術とか本は読んだけれどからだで実践してない。柔らかなからだとこころをつくるために何かやってみたい。
「真向法(まっこうほう)」っていうのがあるそうだ。「たった四つの体操からなり、朝夕わずか三分間」で効果があるというから、それならできるかな。
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