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ふれる文化と日本

ふたつの文章を並べてみる。
まずは三砂ちづる『オニババ化する女たち』(光文社新書、2004年)から(p.229-230)。
 人間は根源的なところで、誰かにふれてもらいたい、抱きとめてもらいたい、という欲望がありますから、それが満たされなかった人たちが、しっかりとしたからだのふれあいを求めてやっていることなのかな、と援助交際について聞いたときは感じたものです。お金が絡んでいますから単純に言えないところもありますが、本当は「援助交際」でホテルになんか行かなくてもいいのかもしれません。でも、日本では、「ちょっと抱きしめる」だけのこと、というのはまずあえい得ませんから、「抱きしめるからには最後までいかなくてはいけない、そうしないのなら、何もしてはいけない」というふうな極端な状況が、援助交際のような外国の人から見たらたいへん異常な事態を引き起こしているように思うのです。
「ふれる」という欲望を総じて満たされていないので、自らの身体性をなかなか確認できない、そのあたりにも今の日本の盲点があるように思えます。昔からの日本はそうではなかったでしょう。抱きしめ、抱きしめられるような挨拶はしていなくても、もっとお互いにふれていた。公衆浴場がなくなり、縁側がなくなり、施設出産をするようになって、お互いのふれあい、自らの身体性の確認、といったことを、指から砂がこぼれ落ちるようになくしてしまったのではないかと思います。

続いて、先に紹介した『子供の「脳」は肌にある』から(p.162-163)。
 欧米では、ここ数十年の間に、性に関する行動に対しては社会的な制約がゆるみ、恋人や夫婦が性的なスキンシップをすることは、映像メディアのみならず日常場面においても、容易なことになってきた。
 ところがそれとは逆に、性的なニュアンスを含まないスキンシップは減少しているという。アメリカの多くの学校では、先生が生徒に触れることは法律で禁止されている。カウンセラーやセラピストがクライアントに触れることも、多くの学派では倫理的に禁止されている。州によっては、子どもと一緒に入ったりプロレスごっこするだけで、虐待だと扱われることさえあるという。

アメリカの日本化?
というよりも、権力的・権威的な関係が生じ得る場面ではアメリカでも不自由になっているということか。

少し関連してるので思い出したのが、【「思い残し症候群」の岩月謙司氏、逮捕】という先月の報道。詳しくはhttp://homepage1.nifty.com/eggs/news/06iwastuki.htmlをどうぞ。

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