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こどもとおとなとネット

2004年9月18日に放送されたNHKのETV特集「子供たちの心の闇を越えて」を記録した「tetsuhito blog」からの抜書き。このページは今は消えてる。印刷しておいてよかった。そして、tetsuhitoさんに感謝。
無記名の部分は記録者tetsuhitoさんのコメント。

・なぜネットに魅かれるのか
藤井克典「特に小学校の高学年から中学生の子供たちがネットに夢中になってしまう、ということをどう感じますか」
渋井哲也「自分の書いたことに“反応してくれる人がいる”。例えば親に愚痴を言ったりしても「何そんなこと言ってるの」とか、学校で言っても相手にされなかった言葉が(ネットでは)相手にしてもらえる。自分が相手にしてもらえるんだということが分かるのが魅力ですよね。
 やっぱり、“受け止められなくなった周り”というかね、大人だとか学校空間、あるいは家庭空間というものの寛容さがね、昔よりも狭くなってるのかと。だから“つらい”って言っても「そんなの、みんなつらいんだから」で終わっちゃう、のかなと思いますね。例えば自傷行為をしてる、または家出をしたり援助交際をしたりする子もいますが、そういう子たちは、例えば親や学校の先生にばれると「なんで早くその気持ちを言ってくれなかったんだ」と言われるらしいんだけれども、でもその子たちは自分の言葉で自分なりに言ってるわけですよ。ところが言った時に相手にされないわけです。それがネットでは常に反応してくれる。何かを言ったら誰かが反応してくれる、それは魅力的な世界ですよね。」
渋井「熱中するものってのは、やっぱり魅力的だから熱中するんですよね。親御さんからしてみれば知らない世界に夢中になってると思うわけですよね。でも、子供たちからしてみればすごい魅力的なわけですから、だったら親も子供と一緒にその魅力的な世界を覗いてみる、ということが一つの大事なことだと思いますね。」
子供とゲームをして遊べとは言わないけど、新しい文化=子供の趣味を理解してあげようとする姿勢、スタイルを示し、そのスタンスを維持していくことが親には求められるのだと思います。

・大人はなぜ不安になるのか
宮台真司「分かりやすく言うと、大人から子どもが見通せなくなった。例えば犯罪だけじゃなくて、どうして、何が悲しくて何をやっているのか、例えば、なんでそんな歌を聴いているのか、なんでそんなテレビ番組を見ているのか。
 例えば歌だったら、昔はやっぱり家族みんなでお茶の間でテレビ見たもんだから、野口五郎だ西城秀樹だって言ったらみんな知ってた訳ですよ。今その少年少女達が聴いている歌の大半は、大人がアーティストの名前を聞いても「え、なにそれ?」って全然わからないでしょ。まぁそれ典型ですけど、全ての分野で同じことが生じているわけですね。
 そうすると普段から彼らの行動を見通せていないというある種の不全感や不安がとりわけ犯罪のときにヒジョーに増幅されてしまう。
 同じ若い世代で言っても、「若者だ」っていうだけでは相手が何者なのか全然わからないんですよ、お互いにも。例えば音楽のジャンルなんていうのは今おそらく数百以上に分化しているんですよ。名乗ったもん勝ちだと言われてるんですよ、ジャンル言った者勝ち。だから若い奴ら同士でもジャンル全然見通してないし、ただ自分がこの音楽やってるっていうことがもしあっても、全体の中でのポジショニング、つまり位置づけはわからない。ましてや大人から見てわかるわけがない。」

宮台「不透明であるということに対する不安という点で言うと、やっぱり年長世代は透明な時代を生きてた、わかりやすい時代を生きてた。
 ところが今のティーンエイジャーっていうのはお互い同士がもうわからないっていう前提で生きてるので、そこにギャップがあるでしょ、若い連中は不透明であることは自然であるわけ、で、変に関心持たないほうがいいわけ。ま、好きにやればいいじゃないか。でも年長世代の人はね…」
重松清「分かりたいんですね。」
宮台「分かりたいのに、分からない。分かりたいと思わなければそんな不安にならないのに、分かりたいとすごい思ってるんで超不安になっちゃうんじゃないですか。」

宮台「80年代の半ばに日本ってもの凄く大きく変化したんですよ。まぁ80年代を通じて変化した。でそこをまぁ、第二次郊外化、あるいは二度目の郊外化と言っているんですけど、一口で言えばこれは個室化なんですよ。
 例えばこの頃、ダイクマとかロジャーズといったロードサイドショップが広がって、白黒テレビが2万円台、カラーテレビが4万円台で買えるようになって、テレビは個室に置かれた。NTT民営化して多機能電話が出て、電話の子機が各個室に置かれるようになってきた。80年代半ばにはコンビニエンスストアが大爆発して、その直前にはワンルームマンション大ブームが起こって、要はその個室、わかりやすく言うと単身者ですね、単身者をアシストするインフラがすごい広がった。で、これは同時に家族が個室で暮らすことも支援するわけ。
 例えばコンビに弁当で考えてみると、それまでご飯食べようと思ったら家族が作ってみんなで食べるしかなかった。そうすると、コンビニ弁当さえあれば親が深夜まで仕事してても、お母さんが仕事してても、子供は飯を食えるようになるわけですね。
 そういう風にして、これは便益という意味ではとても大事なことだから意味があったと思うけれど、その結果いろんな人が外で働くようになった。しかし、その結果として実は個室化がどんどん進行する。
 80年代の第二次郊外化の中で起きたことを考えてみると、親の力量が下がったわけではなく生活形態が変わってしまったんで、昔だったら普通にしていれば分かることが簡単にはわからなくなった。」

宮台「大人もね“郷に入りては郷に従え”とか、“旅の恥は掻き捨て”といった共同体的メンタリティってものがあるでしょ。子供たちもそうで、仲間の目はすごい気にするんだけど仲間以外についてはまったく鈍感なんですよ。その仲間の目がすっごく小さくなっちゃったんで、日常が旅になっちゃってるわけ。
  傍若無人な電車の中での化粧とか、どっか公道で座り込んだりとかね、そういうこともどんどんどんどんできるようになっちゃってる。
 大人が昔やらなかったことだから、「おかしな奴らが出てきた」と言うんだけど、よく見ると昔のお父さんお母さんと行動パターンはおんなじで、ただ仲間の範囲がいろんな理由でちっちゃくなってる。だから大人の視点とかを意識しなくてよくなってるし、同世代の別のグループの人間の視点さえ意識しなくても済んじゃってる。

宮台「一般的な問題を言うと、つまりどの時代も見られる問題として言うと、大人が“自分達が子供だった頃にやってなかったことを今の子供たちがやっている”ということで頭にくる、不安になる、嫉妬する。いろんな感情が大人に起こるんですよ。
 実はそれは大人の問題なんです子供の問題じゃなく、そこまでは。」

・大人に何ができるのか
重松清「うちの娘がね、小学校卒業するときに、一番楽しかった場所“塾”、二番目に楽しかった場所“学童保育所”、三番目が、つまり三つあったんだなっていうところですごく楽になったものがあるかもしれない。
 それでよく、密室の中での育児がお母さんも子供も苦しめているというように、それを思うと、周りの目、フォローがない状況だと本当に親が一人で抱えこまなきゃならない、学校が全てもう背負わなきゃいけない、ほんとに親と学校が肥大しちゃってますけど、学校の現場としてね、やっぱり学校が背負わされてるものって大きすぎる、もうちょっと身軽になりたいというような本音はおありでしょうか、藤原さん。」
藤原和博「そうですね、学校関係者を代表して言えばね、学校というのは本来授業をして、知識を伝授するところだと思いますけれども、それ以外の生活指導というですね、これは欧米では間違いなく宗教界が担うべきものだと思います。それから家族が担う、あるいは地域社会が担う、そこを家族がなかなかできなくなった、そして地域社会も崩壊してしまった。
 全部それを学校に、規範からルールをどう守るかから、市民のあるべき姿から、掃除の正しい仕方から、最後まで給食をたべることまで、全て担わされてきたという歴史がやっぱり学校を相当呪縛してる。あるいは学校の本来の機能を削いできてる、ということは言えるんじゃないかと思いますね。」
重松「しかし、じゃあ学校が社会のルールを教えることを、もし放棄したら、親が引き受けるしかなくなってしまう、今の状況だと。これはかなり難しい。」

宮台「最近のいくつかの重大な少年犯罪は、結構お母さんが教育ママだったとか、お母さんが口うるさかった、って言われるケースが目立ってますよね、かなり。なので、例えばこういう事件が起きるたびに「親は何をしていたんだ。もっと子供をちゃんと見て、ちゃんと子供に言わなきゃ」っていう風に言うと、」
重松「すごく見てるんだね、口うるさくなる」
宮台「ますます見て、ますます口うるさく言う可能性がある。それがいい結果をもたらすかどうかについては僕は非常に疑問があるわけです。」

宮台「注意しないといけないのは、よく日本の言い方でいうと、「家、学校、地域が一体となって子供に関わりましょう」って言うでしょう?」
重松「いいがちですね。」
宮台「一体になることとコミュニティって違うんですよ。コミュニティってのはむしろ寛容さがある場所で、むしろニュータウンのようにコミュニティが壊れたところでこそ「異質な人間が悪いことをすんじゃないか、異質な人間が入っているからこんななっちゃうんじゃないか」っていう風になりやすい。
 むしろ、日本の昔の地域社会を思い出していただきたいんです。昔はね、学校で勉強できなくなって、家に帰りゃ「お前は家業を継げばいいんだ」とか「そんなに勉強したら嫁に行けないぞ」みたいな親がいて、学校の先生とは違うことを言うわけ。それがコミュニティなんです。“一体になってしまう”というと、親も教員も地域の大人もみんな同じ事を言う、これはありえないでしょ。抱え込みと同じですよね。だからこれはダメなんです。つまり、コミュニティというのは異質性に対する寛容さというのが最も重要なファクターなんですね。」
重松「今のお話伺ってて、まさに、例えば親子のコミュニケーションが上手く行ってないのが、“母子一体”みたいに一つになろうとしてたり、あるいはインターネットの関係が弱いって批判されちゃうのって、自分と同じもので集まろうとしちゃうところに、弱さってあるんでしょうか。」
宮台「やっぱりいろんな人間と付き合って鍛え上げられてきた自己価値、尊厳であれば、多少知らない人と付き合って、知らないのに何か言われちゃうとか、問題が起こるとか、勘違いが起こるとかあったって、全然問題ないじゃないですか。
 むしろ同じ穴のむじなだけで自分の自己価値をなんとか保ってきたような人は、やっぱり異質な人間と付き合いづらいし、付き合うと不安になっちゃうし、うまくやっていけないわけ。
 そういう意味でいうと、これからはどんどんもっと社会は流動的になるし、いろんな人間と出会って行くし、いろんな集団に属したり外れたりしていく、そんなときに同じ穴のむじなとしか付き合えなかったら、生きていけないわけ。
 どこに行ってもいろんな人間と付き合い、距離を縮め、仲良しになり、あるいは一旦仲良しになった奴でも言いたいことは言う、「お前とは仲がいいっていうことを前提で言うけど、お前の生き方は間違ってる」みたいな言い方をすることも、実は昔だったらできるわけ。
 今の子供たちは特に若い人たちは、どうしてもタフじゃないし、非常に同質的な空間の中で自分を保っているので、関係を保つために、これが言えない、あれが言えない、心が打ち開けられない、深いところでのやり取りができない、という風になっちゃうんですね。
 こういう意味でいうと、一見仲良しグループの中にいるように見えても、悩みの相談とか全然してないのがすごく多いんですよ。そういうところで問題が出てきちゃうので、やっぱり異質性の中でコミュニケーションできるように育てる必要がありますよね。」

三沢直子「今必要なのは、人との関わり方を土台から学ぶということが必要なんじゃないかと思っています。で、それが子供からでいいのか、あるいは親からやんなきゃいけないのか、わからない。
 むしろ私は親から、もうすでに現在の親のほうが核家族、夫婦分業、母子カプセルの中で、しかも勉強漬けの中であまり人と交わることのなかったまま大人になった人たちというのが増えてきてますよね。本当に井戸端会議というのは大事だった。わたしはそれをなんとか再生したい、と思ってまして、それには自然のものでは難しいから、いろんな仕掛けを作っていきたい。
山崎隆夫「地域の人たちが入って、一緒に参加して多様な大人の世界を見せてあげる。そうすると外から入ってきた人も、運動会などで踊りに入ってくれて、お母さん達も子供と一緒に踊ってくれましたけども、そうすると我が子主義だけじゃなくなりますよね。
 我が子も大事なんだけど、クラス全体も大事になる。そういう目がだんだんと広がる。教室の中に別の他者がいることは、ある意味では子供に教師だけでない世界を子供たちにメッセージとして送るので、こういう生き方をしている人たちもいるんだなぁと大人への尊敬や信頼も生まれてくると思うんですよね。」
井戸端会議、もうこれって死語になりつつあるよね。話し合いの場、それって何も井戸の周りだけに限らず、ウェブ上でもいいんじゃないかと、つまりブログで井戸端会議してもいいよね。
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