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子どもの運動不足とおとな

『AERA』2005年1月24日号、「冷たい子どもが増えている---運動不足と冷暖房の影響」から。
 低体温現象には運動量の減少が関係している可能性がある、と木村さんはみている。運動量が減ると、筋肉量は減り、結果、熱をうまく作れなくなるのだ。
「昔だったら学校で運動して、家に帰っても外を駆けずり回っていました。でも、今はそれをできる場が減りましたから」
  […]
「昔は寒い時にがたがた震えながら寒さに耐えたり、暑い時に汗だくになりながら、自律神経が鍛錬された。でも、冷暖房が普及して、その機会も減りました」
 暑い時に汗をかいて熱を出し、寒い時に熱が出るのを防ぎ、体温を調整するのが自律神経。本来自然に働く自律神経の機能が低下している。
  […]
 真弓定夫院長によると、自律神経のバランスが崩れると血の流れが悪くなり、冷えや肩こり、腰痛の原因になる。免疫力や自然治癒力が弱まり、抵抗力も低下。感染症や病気になりやすい身体になるという。
 だが真弓さんが最も危惧するのは心の問題だ。
「低体温になると活力が落ちるので、考える力も落ちます。それは、子どもの犯罪や異常行動にも関係してくるでしょう」

僕は子どものころ、周りと比較すれば一人でいることが多かった。トランプの一人遊びなんかかなりの種類をこなしたものだ。それでもそれなりに外遊びしていたような気がする。
当時の近くの道路は舗装されてなくてクルマが通ることもあまりなかったし、柵をすり抜けて“冒険”するような場所もあった。それに塾通いなんてとても珍しいことだったから最近言われる「空間・時間・仲間の三つの間がない」なんていう状況ではなかった。さらに小学校4年生のときには卓球と出会ったし、運動不足には無縁な子ども時代だったと思う。
釧路にいた中学2年生のときだったかな、学内の弁論大会みたいなのにクラス代表として何かしゃべって、そのしめくくりが「あなたも、スポーツしてみませんか?」だったくらいだ。

今の子どもが運動不足だとしたら、もちろんそれは子ども自身のせいではない。

どう対処するか。

道新2005年1月18日「首都圏で人気 道内でも?:体育の家庭教師」より。
運動不足やスポーツが苦手な子供に鉄棒や走り方を個別指導する「体育の家庭教師」が首都圏で人気だ。「運動会の徒競走で一位に」「子供の遊び相手に」など要望はさまざま。少子化や習い事が増えて、子供同士で体を動かす機会が減っていることが背景のようだ。家庭教師を派遣する会社も徐々に増えている。
  […]
 家庭教師をつけた理由を「一人っ子で近所の子供と接点がない。体力をつけられるし、スポーツの楽しさを安全に教えてもらえるから」と説明する。
  […]
 家庭が求めるのは運動能力だけでなく、「母子家庭で子供が男の人と接する機会がない」「夫が仕事で忙しい」などの理由で「ただ一緒に遊んでくれればいい」と頼まれるケースもある。水口さんは「こうした仕事が伸びることに複雑な気持ちもあるが、子供が達成感や充実感を得ることで、自信や意欲を持つきっかけになれば」
  […]
 この仕事を始めて驚いたのは子供たちの運動能力の低下という。指導を始めるとすぐに「足をけがした」とやめてしまい、聞くとただの筋肉痛だったことがある。ボールが自分に飛んできても手を出さない子供もいる。山本さんは「自分が子供のころは、公園や空き地で友達と遊びながら自然と体力や運動能力がついた。今の子はそうした機会がないのだろう」と言い、家庭教師を求める家庭は今後も増えるとみる。

ここまできたのか、と感じる。

市場に外注しないと家庭も学校も子どもの運動不足を解消できないという事態。

関連して教えてもらったのは次のような光景だ。市内の温水プールで指導員のもと、子どもたちが水泳を習っている。その母親たちは着替えるでもなく上から子どもを見下ろしつつ談笑している……
“外注して済ます”という点では確かに似ているように思う。
一緒にいる時間があるのならば一緒に泳ぐなり遊ぶなりすればいいのに、というのは事情を知らない者の勝手な言い草かな。

「子どものためだから」と何種類もの習い事をさせる例は昔からあったが、先日テレビで紹介されていた週に7・8種類の習い事という家庭では、普通の塾・家庭教師や音楽教室にならんで“体力づくり”のためのものがあった。太極拳だったか、少林寺だったか。
それ自体がよくないわけではなかろうが、お仕着せメニューの中のひとつとして並んでいる限りは子どもの自発性とは無縁のもののように見えた。
古いけど、斎藤次郎『ああファミコン現象』(岩波書店、1986年)p.16から。
 近ごろの子どもは遊べなくなったとか、遊びがへたになったとか嘆くおとなたちは、むろん善意からなのでしょうが、とかく子どもに遊びを教えたがりまず。子ども会の行事とか、スポーツクラブとか、なんとか教室とか、おとな主導の「遊び」があふれていますが、はたしてあそこに、遊ぶ子自身の自発性がどこまで尊重されているか、疑問なしとはしません。
 それにまた、手づくりおもちゃの教室では、子どもたちの創造性を豊かにすることが、スポーツクラブでは、からだづくりやチームワークの大切さを教えることなどが、目標視されがちだ、ということもいっておきたいと思います。遊びはたのしければそれでいいのだ、遊ぶこと自体が目的なのだ、といういさぎよさが、失われてしまうのです。

「テレビゲームばかりじゃない、こういう遊びも楽しいんだよ」と提案する機会は設けた方がいいように思う。ただそのとき、「教えてあげる」というよりも、子どもと一緒に大人も“いさぎよく”楽しめばいいんじゃないかな。

からだをシンクロさせることで伝わるものはきっと大きい。
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