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「民事不介入」と児童虐待

日垣隆『世間のウソ』(新潮社、2005年)「第八話 児童虐待のウソ」より(p.108-118)。
 朝日新聞のデータベースを調べてみると、1984年10月から2004年10月に至る20年間で、「虐待」と「逮捕」の両語を含む記事は全部で1272件ありました。80年代から90年代にかけて、その圧倒的多数はアメリカ、東ティモール、フィリピン、ペルー、東ドイツ、スリランカ、ネパールといった諸外国の報告です。(注1)
 しかし今世紀に入ってから、「虐待」と「逮捕」を含む記事の95%が日本の国内ニュースになります。[…]
 それは、この手の事件が増えたから、なのでしょうか?
 そうではありません。
 家庭内の傷害事件に警察が立ち入るようになったからです。したがって、警察が発表するようになり、こうしてマスコミが報道するようになった、というのが実際です。これは2000年春から急速に強まった傾向です。[…]
 警視庁生活安全局によれば、検挙された児童虐待「暴行」事件は、次のようになっています。
 1999年……1件
 2000年……4件
 2001年……8件
 2002年……5件 (注2)
 これだけでしかありません。1年間に、子供への暴行事件が、わずかに一桁しかない、という事実など信じられるでしょうか。
 他方、厚生労働省によれば、全国の児童相談所に寄せられた児童虐待についての相談件数は、1999年で早くも五桁に達しており(1万1631件)、その後もウナギのぼりに増えています。
 要するに、警察はつい最近まで家庭内の暴力=傷害犯罪に対し、見て見ぬふりを決め込んできたわけですね。[…]
 それらは「日常」であって、「事件」ではなかった。児童虐待と名づけられなかっただけで、このような状況下に置かれた子供たちは今よりずっと多かったのです。(注3)[…]
 前世紀までなぜ家庭内の傷害事件に警察は介入しなかったのでしょうか。
 それは、「民事不介入」という幻の原則を、警察庁も警視庁もマスコミもまったく疑うことなく信じてきたからです。[…]
 民事不介入の原則とは、,澆じめ(紛争の調停をヤクザに任せる慣習)と、家父長に警察機能を代行させていたことを内実としています。
 この原則は確かに、戦前の絶対家父長制のもとでは生きていました。家父長には勘当権、処罰権、離婚権、財産処分権などが独占的に与えられていたからです。精神病者を座敷牢に幽閉することさえ、所轄の警察の許可があれば可能だったのです。
 しかし、戦後は憲法と民法(一部)が生まれ変わり、家父長制がなくなります。しかし、にもかかわらず戦後も「民事不介入の原則」が亡霊のごとく生き続けてしまったのです。
 なぜでしょう。
 旧態依然の警察がまったく頭を切り替えることができず、この分野で怠慢を極めた(出世のための点数にならなかった)からです。民事不介入なる原則が戦後もずっとあるようなフィクションのもと、少なからぬ商店街ではヤクザ社会を利用し、家庭内では暴力を放置し続けたのでした。
 ではいったい、なぜ家庭のなかだという理由だけで、殺傷沙汰が許されなければならないのでしょうか。
 家庭における「民事不介入の原則」という幻が完全に消失するのは、子どもへの暴力犯罪については児童虐待防止法(2000年11月施行)を、女たちへの暴力犯罪についてはDV防止法(2001年10月施行)を待たなければなりませんでした。
 しかし、刑法でいう暴行、傷害、致死罪は、家庭のなかでは許される、などとはどこにも書かれていません。許されると明記されているのは窃盗だけです。
 警察が戦後も「ある」かのように振り撒いた「民事不介入の原則」が、数千の子どもたちを死に追いやった、という側面はぬぐいさりがたくありました。

(注1)「今世紀に入ってから国内95%」という数字をあげているからには、「それ以前は圧倒的多数が外国の例」という事実についても数字がほしいところ。データベースが有料のため確認してない。
(注2)おそらくこれは全国の数字だから「警視庁」でなく「警察庁」の統計ではなかろうか。だが問題は次のこと。
外務省の関連ページには以下のような記述がある。「2000年中に、警察の少年相談窓口に寄せられた児童虐待に関する相談件数は1342件であり、前年の約1.5倍、1996年の約5.2倍となっている。また、2000年中に警察が取り扱った児童虐待事件の検挙件数は186件、検挙人員は208人であり、前年に比べ件数で66件(55.0%)、検挙人員で 78人(60.0%)増加しており、被害者となった児童190人のうち44人が死亡している。」
つまり、警察の取り扱う児童虐待事件がかなり増えているという説明だ。そこに添付されている一覧表には確かに2000年中の「暴行」検挙数「4件」とあるから同じ「現実」を記述しているのだが、日垣氏はなぜ「変化のなさ」を示す数字だけを取り上げているのだろうか。警察の介入と報道が「2000年から急速に強まった」という先の記述にも矛盾してしまうではないか。
警察は何もしていない、という印象を強めたかったのだろうか。
(注3)これについて日垣氏はいくつかのエピソードを紹介しているだけで必ずしも「今よりずっと多い」根拠を示してくれていない。ありえることだとは思うが、何か資料がほしいところだ。


警察による扱い方が変わったからマスコミの扱い方も変わって、それゆえに事実そのものが変わったかのように思わされるということはいろいろなところで起こりえるだろう。
「低年齢化・凶悪化の進む少年犯罪」というイメージもおそらくその一つだ。

だが例えば「家庭内暴力」が家庭内で起こる暴力のうち子どもから親へのそれしか指示せず、親から子どもへの暴力には「しつけ」という別カテゴリーが与えられていたのは、一方を貶めて他方を擁護しようとする人々の感覚が元々あったからだと言えよう。
「警察のせい」「マスコミのせい」というだけでは済まないだろうということだ。
(「校内暴力」もやはり学校内で起こる暴力一般ではなくて、教師から生徒へのそれには「体罰」という名で免責され得たというのもこれと同様だろう。)


「民事不介入」についての日垣氏のような見解は初めて目にした。
家父長権が警察権の一部を代替していた名残りだというのは、なるほどそうなのかもしれない。
もう少し調べてみようと思う。
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