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高遠さん講演会

高遠菜穂子さんの講演会『命に国境はない』が8日、国際婦人デー(国連婦人年30周年)実行委員会(高等学校教職員組合稚内支部女性部/芝居を観る会/新日本婦人の会稚内支部/宗谷教職員組合稚内支部女性部/日本婦人会議稚内支部/稚内子ども劇場/稚内消費者協会/稚内市母と女教師の会)の主催で開催された。

武装グループに拘束されたときの苦労話などではない。

道新2005年3月10日から
 […]市民ら約500人が耳を傾けた。高遠さんは米軍の攻撃で多くの犠牲者が出ているイラク中部の都市ファルージャの惨状を解説。米軍に殺害され、身元が確認できないほど腐敗した遺体の映像などを流し「これは現地のイラク人が命懸けで、撮影した映像です.銃を向ける側からは決して報道されないイラクがあることを知ってください」と訴えた。
 一方、イラクでのストリートチルドレン自立支援活動では、薬物におぼれていたイラク人青年たちが職業訓練を経て、大工や整備士として働き始めていることを報告。「今後、ニューヨークでのイラク報告会開催などを計画しています」と締めくくった。

高遠さんは「公平な報道がなされていない」と強調して、「攻撃される側」からの事実を語り、映像を上映した。

マスメディアが伝えてこなかった殺されたイラク人の数々の遺体。実は僕はあまり正視できなかった。チラッ、チラッくらいにしか。(かみさんはしっかりと見たそうだ。しばらく肉を食べる気が起きなかったようだが)
だがそれぞれの遺体は「どのように殺されたか」さらに「死後どのような扱いを受けたか」を語る。
至近距離で撃たれた弾痕の残るもの、ナパーム弾による炎上で黒焦げになったもの、クラスター爆弾の破片で体の一部がちぎれたものetc. 
イスラムでは死後すみやかに埋葬しなければならないのだが、遺体を運ぶのに米軍の許可がいる。しかし米軍はなかなかその許可を出さない。しばらく放置されていたから本人確認ができる状態ではない。

<食べるとか語らうとか、そういった日常はもちろん存在するのだけれども、そこに、いつ米軍に殺されるかもしれないという日常もある>
そんな高遠さんのことばに、改めて戦争の悲惨を思った。

それらのことは伝えられない。
それでも、イラク人以外が殺されれば報道される。
(ちなみに、「アメリカの民間人が殺された」として報復攻撃の材料にされたがその“民間人”とは特殊作戦を請け負う「ブラックウォーター」という企業の“民間兵”である。)
イラク人が殺されても報道されないしカウントされない。あるいは「武装勢力」の「制圧」として扱われる。
実際に誰がどのように殺されていっているのかが正確に伝えられることはない。

結婚式の場が爆撃されて多数が亡くなったという事件については報道されたけれども、それはたまたま証拠となるVTRがイラク外に持ち出されたからにすぎない。
今回高遠さんが紹介してくれた映像も、それが「命懸け」で撮られたものだというのは比喩的な意味ではなくて、撮影しているところを米兵に見つかれば殺されるし、それをイラク外に運び出そうとすればやはり殺される。
イラク国内にジャーナリストがほとんど存在しない今、イラク人自身が「伝えてくれ」と託したものを高遠さんを媒介にして見ることができたということだ。


高遠さんの話で印象的だったのは、一方的にアメリカを断罪するというよりも、人が殺し・殺される現場に追い込まれたイラク人と米兵の両者に注がれる悲しみのまなざしがあったことだ。
その際、エピソードとして重要な役割を果たしたのは下米海兵隊員のジミーの次のような証言である。
イラクは完全に米軍に協力的でした.米軍が無実の人々を殺害しはじめるまでは。そしてその時が、「反乱者」出現の始まりとなったのです。そのころから私達は、イラク人は皆われわれに対する潜在的な脅威であるか、あるいはテロリストであると述べている諜報資料を毎日手にするようになりました。当初から、イラク軍は救急車や一般の車両で爆弾を運んでいると聞かされていました。それを念頭に、私達は検問所を設置しました。

つまり米兵たちは“いやがらせ”のために救急車を攻撃したり強圧的な検問を行なったのではなく、“恐怖にかられて”そうしたのだということだ。
そのように教えられたから。

コミュニケーションの不成立がもたらす事態として高遠さんは次のような例もあげた。

ある米兵は車を制止させるために相手に掌を見せて掲げ、それで通じない場合は空に向けて銃弾を放った。
ところが前者の動作はアラビアでは「こんにちは」であり、後者は「おめでとう」を意味する。
意図を通じ合えない両者の間のいざこざが殺し合いになり、さらなる報復合戦がはじまる…

もうひとつ。
米兵には18歳になったばかりの者も含めた若年者が多くいる。彼らがポルノ雑誌をイラク人の子どもに見せたりする。その行為に悪意はなかったにせよアラビアではそんな雑誌の存在自体がご法度だ。
それに抗議したイラク人たちのデモが行なわれ、中には興奮して叫びだす者が出る。鎮圧しようとする発砲から混乱がはじまり、「制圧」に進展する…

いずれにせよ、圧倒的に殺されるのはイラクの民衆の側だ。
検問では無差別射撃に近いことも行なわれるといい、イタリアの女性記者が撃たれた背景にもそんな状態があるのだと高遠さんは言う。


そんな中で拘束されるまでのあいだ、高遠さんは何をしていたのか。
ファルージャやラマラのに医療品や食料を届ける活動をしていた。
バグダッドにはかなりの量の援助物資が届いているがそれらをもっとも必要としている地域まで行き渡らせることは困難だった。
米兵に対しては英語を話せること、武装したイラク人に対しては白人でないことないし日本人であること、そうであるからこそ果たせる役割があったのだという。

だが今や日本人であることは役に立たなくなってしまった。
自衛隊が来たから。

現在高遠さんは隣国ヨルダンから、援助物資の手配や職業訓練の支援に携わっているという。

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講演に先だっての挨拶もよかった。

名前を聞き逃したんだけれど、実行委員長の三浦しのぶさんだったと思われる。「わたくしごとながら…」と話してくれたこと。
思春期で親に反発ばかりしていたころ、ガス爆発で両親を亡くした。火災による瓦礫の下敷きになっている両親を目の当たりにしながら逃げることしかできなかった。黒焦げの遺体と残された自分の無念と不安…

身近に経験した唐突で理不尽な“死”の意味を語ってくれたことによって、そうした悲劇がイラクでは日常に頻繁に起こっているのだという事実を喚起した。

当日のパンフにあった実行委員長「ご挨拶」から。
さて、こんなにも毎日のように強盗や殺人の事件が起こる日本の状態を非常に悲しく思うと同時にとてつもない不安を感じています。しかし、同時に、これらの現状が私たちに示唆している事柄をしっかり見つめなおさなければならないように思います。自分の人生に希望を持てない人が多く存在している社会状況と、安易に殺人に走る真理について考えるとき、今の世界と日本の方向性を今一度見つめなおすことが必要なのだとつくづく思います。どんな理由づけをしても殺人は許されないのだというあたりまえのこと、国民一人ひとりの命(生活)を守るのが政治なのだということを再認識しなければいけないのだと思っています。


山井教雄『まんが パレスチナ問題』(講談社現代新書、2005年)にこんな一節があった。(p.239)

テロリストを作るのは貧困じゃないんだよ。絶望なんだ。将来に希望があれば貧乏だって耐えられるし、人を愛することだってできるんだ。>

彼の地の希望を失わせるようなしくみには加担したくないものだ。

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ところで、高遠さんは講演の冒頭で
「ご迷惑をおかけしました」
と頭を下げた。

びびった。
それを枕詞にしないと話し始められないような状況がまだ続いているのか、そう言わないと非難する人がまだいるのか、そう思うと悲しいような、恥ずかしいような気分になった。
だが続く本論を聴いていて、高遠さんは決しておもねったり予防線を張るつもりでそれを言ったのでないと思えるようになった。自信があるからこそ、心配をかけたという客観的事実について冷静に礼をつくしたということなのだろう。

講演後の主催者からの質問のひとつが「自己責任論についてどう思われますか?」というもので、またしてもびびってしまったが、思うに、「そんなことほじくり返さなくても」と自信がないのはこっちなのだ。
高遠さんはあえて「自己責任ボランティア」という言い方をしたが、国家や組織に依拠しない活動の必要性・重要性について堂々と語った。
そのことで力をもらったのはこちらの方である。


でも心配性な僕は、会場でのアンケート用紙にヘンなことを書く人がいなかったかどうか不安だったりする。

アフガニスタンで医療活動をおこなったり井戸掘りを指導したりしているペシャワール会の中村哲さんが日本にもどった際に講演で実情を伝えると
「目立ちたがり屋」
「ええかっこしい」
などという感想をよこす人がいるそうだ。

自分にはとてもできないという感慨やうらやむ気持ちは理解できるが、だからといってその人を非難することに正当性はなかろう。
<自分の存在を卑小なものだと感じさせる存在が憎い>という心のはたらきだろうか。
「自分にできることはあるだろうか」という方向に向かわないのは、「どうせ自分には何もできない」という諦めや無力感があるからかもしれない。
そうした境地に安住している自分が非難されたように感じて非難するということなのか。

政治にせよ、経済にせよ、無力感の蔓延には根拠があると思う。
だがその状況にめげずに元気に立ち向かっている人は少なからずいる。その人たちをひきずりおろそうとするのではなく、彼らに励まされて自分のできることをやる、というほうが健やかに生きる道ではないかな(エラソー)。

端的に言って、ひがむなよ、ということだな。
茶化すのもよろしくない。

高遠さんらへの「自己責任だ」非難合唱には「お上に迷惑をかけるな」という心性もはたらいているか。
「でしゃばるな」という意味では「ひがみ」の心理に通じるだろうが、「お上にさからうな」という意味では区別して考えた方がいいように思う。またそのうち考えたい。


高遠さんのWebページは「イラク・ホープ・ダイアリー」


【追記】
最後のあたりを書いてて北星学園余市の義家さんのことを連想した。
「授業をおろそかにしている」とか言われたそうだけれど、実質的には「やっかみ」で批判が起きたように見える。
だが高遠さんにせよ、中村さんにせよ、義家さんにせよ、彼らは批判にいちいちめげたりしない強さをもっているように思う。
むしろ心配なのは足を引っ張ろうとする側の心性だろう。
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