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【転載】戦士のトラウマ

高遠さんのイラク・ホープ・ダイアリー4月22日付より。

戦争の悲惨さは、それによって利益を得るごく一部の人間たちのために、兵士や民衆が殺し・殺される立場に追いやられることだと改めて思った。
昨年の11月、長崎の平和大会で一人のアメリカ人男性と知り合った。彼は元米海兵隊。アメリカ軍第7海兵隊に所属していた。彼の部隊は2003年に1月にクウェートに展開し、3月にはイラクに侵攻、ブッシュ大統領の戦闘終結宣言の2週間後に救急用ヘリでイラクを出た。

彼はアメリカに帰って軍をやめ、同じような苦しみを抱えた仲間とともにアメリカ中を講演して歩いているのだそうだ。重いPTSD(心的外傷後ストレス障害)症状は帰国してからもずっと続いており、私が彼と会った時にもその様子は痛いほどわかった。私は当時、ASD(急性ストレス障害)と診断されたが、悪夢、耳鳴り、フラッシュバックと症状は似ていた。感情が揺れ、理解されないという思いからくる絶望感。けれど、彼の苦しみの深さは私にも計り知れないものだった。彼はイラクで何十人も殺してしまっていた。しかも、子供を含む非武装の民間人ばかり。彼は「私は軍服を着ていたので罪には問われない」と言っていた。しかし、彼が生きたまま負った心の傷は深い。その深さを推し量ることもできず、私は彼を目の前にして言葉につまってしまった。

この日、私はバスラ出身のイラク人ドクターと一緒に長崎を訪れていた。最初に記者会見があって、NGOの方と私たちが順番にこのイベントで何を話すのかということを短く報告した。イラク人ドクターは自分の専門分野から、イラクで激増する白血病やがんについて。そして、私は特にファルージャについて。そして、元海兵隊の彼はほとんど「罪の告白」とも言える内容だった。彼は、私やイラク人ドクターの話を聞く時に通訳のヘッドフォンをしっかり手で押さえ聞き入っていた。その姿を見るのも辛くなるほど、彼は萎縮しているように見えた。

奇しくも、私と彼の話の内容は一致する部分が多かった。彼が一番イラクの人を殺してしまった現場、検問所での話しはめまいがするほど同じだった。「撃つ側」と「撃たれる側」、悲劇はどちら側から語られても悲劇のままだった。

彼が所属する部隊だけでも1日に50人近くの民間人を撃ち殺してしまった日もあったそうだ。これがイラクのいたる所で起きていた。そして、ファルージャはその悲劇の最たる場所であった。

米兵は握り拳を右肩の上で作り、イラク人の車を止めようとした。でもこのサインはイラク人の誰にもわからなかった。なぜなら、それは米軍だけに通用する「止まれ」のサインだったからだ。彼の場合は手のひらをかざし、空に向けて威嚇射撃をしていたそうだ。彼はもちろん、検問所に向かってくるイラク人を片っ端から殺そうなんて思っていなかった。けれど、殺してしまった。なぜ、サインを無視して止まってくれなかったんだ、彼はしばらくの間嘆いていたそうだ。しかし、ある時、一人の女性が悲しそうにその理由を教えてくれた。

「そのサインはイラクではこんにちは、の意味です。また、空に向けて銃を撃つということは祝砲を意味します。テレビでサダムが銃を空に向けて撃っているのを見たことありませんか?」

彼は殺したくなんかなかった。ましてや非武装の民間人や子供なんて絶対に殺したくなんかなかった。検問所とはある意味、両者の意思疎通が行われるべきところのはずだ。しかし、その多くはそれ以前に「銃」をもって断ち切られる。戦争中も、「戦後」の今もこれはいまだに続いている。戦争は殺した側にも殺された側にも、確実に傷しか残さない。

先日、大学生に「どうして軍服を着ていたら罪に問われないのですか?」と質問された。戦争は公認された殺人だからだ。殺すことを命じられているからだ。しかし、現場でそれを実行する者にはやはり殺人でしかない。世間一般で非難されるあの「殺人」だ。

帰還兵はこの「問われない罪」によって、ある時は賞賛され、ある時は非難される。また、同僚を目の前で失ったある兵士は、感情を失い心を壊した。2週間の休暇を故郷で過ごした後、戦場に戻れないほど体の不調を訴えた別の兵士は、町中から「臆病者」と非難された。自分が攻撃した現場でたくさんのイラク人の遺体を見た兵士は、その時からフラッシュバックがひどくなった。軍はその兵士を帰還させた。しかし、祖国で彼を待っていたのは軍法裁判だった。彼は「臆病罪」に問われた。イラク戦争中、激戦地となったサマワに駐留していた米兵は、帰国後に子供を授かったが、その子に指はなかった。

戦場の内側には被害者しかいない。

長崎で出会った元海兵隊の彼と、別れ際に握手をした。
「私たちはイラクで恐ろしい体験をしてしまったけど、今はその体験を通して戦場で何が起きているかを伝えましょう。それが私たちの与えられた仕事よね」と言うと、彼は何度も深くうなずいてくれた。

来月、私はニューヨークに行く。アメリカに行くのはイラク戦争前の2002年12月以来だ。第一の目的は帰還兵の人たちに会うこと。そして、もう一つはイラク写真展を開くこと。
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