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「無観客試合」の真実

『創』2005年8月号、浅野健一「サッカー日朝戦「無観客試合」のウソ」のリードはこうだ。

これがどうして「無観客試合」なのか。現実には日本人観客が800人も観戦していた。現地で筆者が目にした現実をマスコミは報道しなかった。これでは大本営報道ではないか。

以下、要点部分を引く。(以下、すべて太字は引用者)
 日本の2得点と試合終了のホイッスルの瞬間には、メインスタンドで大きな拍手と大歓声が起きた。まるで日本の「ホーム」試合のようだった。
    [‥]
 朝鮮側のVIPはバンコクにある朝鮮の大使館関係者ら約50人。朝鮮から来た人はゼロ。朝鮮から来ていたのは選手とコーチ2人だけだ。日本からの在日朝鮮人蹴球協会の関係者が10人。ピョンヤンからは報道機関の人は1人も来ていなかった。このほか、韓国メディアが20人。タイを含むその他の外国メディアは計約100人。
 一方、日本は報道だけで556人。日本人VIPは約200人以上いたと思われる。「在タイの日本大使館、日本人会がVIPパスを発行してもらったのではないか。FIFAのスポンサーになっている日本企業もVIP券を発行したのではないか」と地元記者は見ている。従って、約1000人のうち約800人は日本人だとアート氏(タイ・サッカー協会事務局員--引用者)は言った。


これに対し、SportsNavi.com の「宇都宮徹壱のバンコク日記」2005年06月09日には正反対のことが述べられている。「無観客ではなかった」のは同じだが、多くの北朝鮮側観客こそが騒いだという。
 それにしても無観客試合とは、果たしてどのようなものなのか―― 今日のゲームの重要性を十分認識した上で、それでも私は生涯で初めて目にする無観客試合というものに、猛烈な好奇心と憧憬(しょうけい)を抱きながらスタジアムの門をくぐった。とりあえず、メーンスタンドを駆け上がって、ぐるりとスタジアムを見渡してみる。確かに、バックスタンドと両方のゴール裏はポッカリと無人になっていた。しかしながら、メーンスタンドには妙に人がいるではないか。それも、どう見てもメディア関係者でも大会運営スタッフではない、家族連れやカップルの姿が目立つ。彼らはいったい、何者なのだろうか。

 私の席の付近では、アジア系の人々が数十人、一区画を陣取っていた。相ぼうや話している言葉からして、北朝鮮の人々であることは間違いない。うちわのようにあおいでいるIDカードには「VIP」と書かれてあったので、おそらく在バンコクの大使館関係者の家族と思われる。それも、かなりのエリート層に属しているのであろうか。大人も子供も一様にいい服を着ていて、何ともふくよかな顔つきをしている。
 そんな彼らが、試合が始まると北朝鮮のプレーに一斉に拍手したり、歓声を挙げたりするものだから、無観客試合の不条理を期待していた当方としては、大いに面食らった。いったい、これのどこが無観客試合だというのか。このまったり感は、アジア最終予選というよりも、むしろ天皇杯3回戦に近い。

 ちなみにこの日、無観客試合にもかかわらずバンコクに駆けつけた日本サポーターは、12番ゲートに集結して、精いっぱいの応援をしていた。当然、彼らはゲームを見ることはできない。それでも、日本の最終予選突破を祈願して、壁の向こう側から懸命に魂を送っていたのである。それを考えると、私の目の前で「きゃあきゃあ」と騒いでいるVIPの集団が、何やら非常に許し難い存在に思えてきてしまう。
 もっとも、こうした「偽VIP」は、決して北朝鮮の関係者だけでなく、地元のタイ人もかなりいたし、数は多くはないものの日本人もいたようである。いずれにせよ、この日のスタンドには、メディア関係者でも大会運営スタッフでもない人間が、おそらく1000人以上はいた。そう、この試合は断じて「無観客試合」などではなかったのだ。


また浅野は<「観戦」した村上龍氏の独善記事>との見出しで6月9日付読売新聞朝刊の記事を紹介している。
わたしを囲んだ「北朝鮮のVIP」たちの集団は、サッカーというゲームを知らない人たちばっかりだった。金日成バッジを胸で輝かせているおばさんたちは、状況に関係なく選手がボールを持てばそれだけで耳障りな嬌声を上げるし、日本にボールが移ると、別に危険な局面ではないのに金属的な悲鳴を上げる。

浅野健一、宇都宮徹壱、村上龍、同じ現場にいてどうして認識が違うのだろう。
宇都宮と村上の叙述はかなり符合するから、多数決でそれが正しいということか。

ネット上にはすでに無くて原文を確認することはできなかったが、浅野が傍証としてあげているのは6月9日付の次の二つの英字紙記事だ。
「無観客試合のはずなのに、日本のプレスという名の小軍隊と、メディアではない日本の人々がどこからか潜り込んでいた。」(バンコク・ポスト)
「日本は自国の報道陣とVIP招待客を含む国民の前で勝った」(ネーション)

いずれにせよ、スタンドにいた約1000人とグラウンドの選手たちは事実を知っているのだから、どちらの言い分が正しいのかはそのうち明らかになるだろう。

問題は、それを「無観客試合」と報じたマスメディアだ。
浅野のまとめによるとそれはこんな具合だった。
 日本では「見えるのは警官、警備員だけで、静まり返ったスタンドで行われた」と報道し、テレビ中継もメインスタンドの群集を一切映さなかった。スタンドで取材した記者なら、「タイ警察の警察約二百人の姿がやけに目立つ」(日経)ということではなく、千数百人の入場者がいたことが分かったはずだ。
 6月9日の朝刊各紙は、「3万人以上は入れるスタンドはほぼ無人だった」(朝日)、「試合終了を告げるホイッスルが観客のいないスタンドに反響した」(毎日)、「数百人の報道陣や協会関係者の一角を除き、がらんとしている」(読売)、「無観客、静寂の競技場」(日本経済)と伝えた。

なぜそんなことで一致団結して事実を隠す必要があるのだ。
僕にとっては些細なことだから、なおさら不気味だ。
いや、観客がいたかいなかったか、あるいはどちらの観客が多かったのかが重要問題だとしよう。
だとしても、1000人の目撃者がいるにもかかわらずウソを報ずる姿勢というのはいったい何なのだろう。

過去の史実が改ざんされたのではない。目前の、現在進行形の事実が堂々と改ざんされるのだ。
テロにせよ、政治イベントにせよ、映像で見たからといってそれが真実を映し出しているとは限らないし、マスメディアがこぞって同じことを言っているからのいって正しいわけではないのだ。
その教訓としてこの件は記憶にとどめておきたい。
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