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ブッシュとしてのダースベイダー

道新2005年7月29日「卓上四季」から。
▼カンヌ映画祭などでは、ブッシュ米大統領を暗に批判した作品ではないか、と話題を集めた。イラク戦争を進めるため、国民の自由を制限し、権力を集中した経過と似ているという▼たとえばこんな場面だ。悪役ベイダーが戦いを前に「わたしに味方をしないなら、おまえは敵だ」とすごむ、どこかで聞いた白黒の二文法。「わたしは平和と正義、自由と安全をこの帝国にもたらした」と豪語するせりふなども、大統領演説と印象が重なる▼周囲の人は独裁者にだまされてゆく。ヒロインが不安をつぶやいた。「民主主義が滅んで、この共和国そのものが悪になっているのでは?」「自由はこうして死んでゆく。万雷の拍手を受けながらね」▼ブッシュ支持派は怒って鑑賞拒否を呼びかけた。当のジョージ・ルーカス監督は、大統領を直接批判する意図を否定しつつ、現実の政治を意識していると認めた。ファンのスリルをかき立てた六部の大作は、論争を残し終幕となった

このへんの評価については「Days of Books, Films & Jazz 編集者 日々のコラム」の『スター・ウォーズ』のブッシュ批判?に詳しい。

この映画には実はほとんど関心がなかった。
シリーズ全部観ないとちゃんと楽しめないのじゃないかという億劫さもあるし。

なのにこういう“政治ネタ”として取り上げられることによって「観てみようかな」となるのはきっと邪道なんだろうな。

ただ、製作する側がそれを主要なテーマとして訴えようとしているのでなくても政治的なメッセージは発せられうる。
最近の自衛隊映画について山田和夫は次のように分析している。(『しんぶん赤旗』2005年7月21日「映画時評」)
 「本物」を自衛隊がほとんどタダ同然に貸してくれるのだから、映画会社にとってこんなおいしい話はない。憲法改正の動きでタカ派勢力が活気づいているから、自衛隊の宣伝になれば観客動員も見込める、企業側の思惑は一見単純で、とくに政治的意図があるとは見えないが、とてもそうはのんびりしておれない。何よりも防衛庁=自衛隊が協力するからには、必ず協力条件がつく。端的にいえば自衛隊に有益であること。
 たとえば「戦国自衛隊1549」は富士山麓の演習場に大がかりな戦国時代の城のセットを建て、戦闘ヘリコプターや戦車を無償で使わせてもらった。ただ防衛庁当局がくどいほど念を入れたのは「どんな事態になっても、自衛隊が先に発砲しないこと。専守防衛ですから」と。ひどく憲法に気を使っているのは見ておどろかされる。実際の画面ではその通り、タイムスリップした自衛隊部隊が、どんなに織田軍の攻撃を受けて、犠牲者が出てもいちいち指揮官に連絡をしないと発砲できない。観客は「射てばいいじゃないか」と思ってしまう。結局「専守防衛」と戦闘部隊である自衛隊との矛盾を「交戦権」肯定に導くのではないか。
 「亡国のイージス」では反乱を起こしたイージス艦が、僚艦に撤退を求める。「撤退しないと艦対艦ミサイルで攻撃する。しかし貴艦は海上自衛隊の規則で先制攻撃はできないから、撤退しか道はない」と通告。僚艦は拒否して反乱イージス艦のミサイル攻撃で爆沈する。「某国」(だれが見ても北朝鮮)工作員は「撃たれる前に撃て、それが戦争の原則だ」とくり返し強調する。ここでも「交戦権」を認めない現憲法第二項の規定が、いかに彼らにとってカセになっているか、早くそのカセを外したがっているかが、歴然だ。

そういえば、映画『突撃!「あさま山荘」事件』を観たときは、なかなか決断を下せない警察側責任者のだらしなさが強調されていて「あ〜、細かい規則や手続きなんかいいからさっさと行けよ!」みたいな気分になってしまった。
あとで、そういう気分にさせるのが狙いなのかもしれないと反省したけれども。


現実の政治的動きに対して「おかしいんじゃないの?」と疑義を呈するにせよ「仕方ないんじゃないの?」と同意を促すにせよメディアのメッセージは時代の気分に形を与える働きをするだろう。
そういう働きは直接的な政治的メッセージによってではなく、むしろ“娯楽”という姿でこそ威力を発揮する----と誰かが言っていた。何を“快い”とするかという感性に訴えるからだろうか。

ここで、江川達也が以前「子どものよこしまな欲望の自己正当化を強化する『ドラえもん』は危険だ・悪書だ」と主張していたことを思い出したのだけれど、それはまた別の話だな。
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